出来上がり育った環境で違うお茶漬けの味わいについて

先日、ダディという乳児というお茶漬けを食べたときの談話だ。わたしの民家は、お茶漬けといったら、なんの各種のお茶漬けだろうと、お茶をかけて食するのがお茶漬けだと思っていました。外食で、しばしばお厳しい宿屋なんかで生まれるお茶漬けは計測控えるとして、家で採り入れる茶漬けは、梅だろうが鯛だろうが鮭だろうがなんでもお茶をかけます。それが、普通のことだとおもって生きてきました。ただし、ダディという結婚してお茶漬けにお湯をかける輩がいることを知りました。お茶漬けの素には多分お茶の風味がついているのだから、そちらいじょう濃くする必要がないというロジックらしいのですが、初めて見たときは感動でした。これが、育ってきた背景の違いかと思いました。物語はもどしますが、そんな食べ方の違う両者と乳児でお茶漬けを食べた状況、乳児はお湯のお茶漬けのお客様を選んで食べました。つい自力取り残されたフィーリングになりました。だからといって、お湯茶漬けにかえるつもりはないですが、それでも乳児はおよそこのままお湯をかけて取るんだろうなと思います。こうした茶漬けに対しておっしゃることのできる日毎で自分はとても幸せです。